お天気は晴れ。
一気に春めいてきましたね。
清見タンゴールの収穫が始まっています。
では先日のお遍路3日目の様子を更新します。
歩き遍路の旅17 3日目宇和島から三間の41番札所龍光寺、42番札所仏木寺、宇和の43番札所明石寺へ(2022年2月17日)
宇和島リージェントホテルの洋朝食。
またまた8時からの朝ドラを見て出発しました。
この日も晴れ間はありましたが、とても寒い一日。
宇和島駅の近くを通過。
和霊公園前。
国道56号を右折して57号の三間方面に向かいます。
龍光寺、仏木寺の道標あり。
この歩道で、芝犬の散歩をしているおじいさんに出会いました。
おじいさんはベルトの辺りに犬のリードを縛ってゆっくりと歩いておられます。
挨拶をして、かわいいワンちゃんですね〜と言ったら、
犬に引っ張ってもらってようやく歩きよるんよ〜と言っておられました。
(和む〜♪)
龍光寺まではあと小一時間も歩いたら着くと思うけん気をつけてな
と優しいお言葉をかけて戴きました。
こんな何気ない小さな交流が嬉しく、ありがたく。
静かな山里の道。
紅梅が綺麗。
晴れていますが…
雪がちらちら降っています。
晴れ間の雪は「風花」という美しい季語があるのですが、あれは晩冬の季語。
立春をとうに過ぎている今はちょっと違うかなあ、と思ったりして。
雪、見えますか?
へんろ道はこの先を直進です。
田んぼの中の一直線のへんろ道。
龍光寺が近づいてきたようです。
鳥居のあたりが入り口のよう。
石段の上が山門かなと思いましたが、山門は無く、赤い鳥居の奥は稲荷神社の社殿のようです。
その稲荷神社に向かう途中の平地に、龍光寺の堂宇は建てられています。
41番札所龍光寺 本堂
奥に稲荷神社が控えるという堂宇の配置が物語るように、この霊場は元は稲荷寺であったそうです。
807年、弘法大師が稲束を背負った稲荷神社の化身と出会い、その姿を尊像として刻み、更に稲荷神の本地仏として十一面観音菩薩を祀りました。
当時は神仏混合だった事から、稲荷寺として信仰を集めていましたが、明治の神仏分離によって仏教色の強いものは本殿から運び出され、本堂と大師堂は新しく建て直される事となりました。
41番札所龍光寺 大師堂
本堂にも大師堂にも美しい御生花がたっぷりと生けられてあるのが素敵でした。
境内からの眺め。
境内の上に立つ稲荷神社です。
長閑な景色です。
ここで、きさいや広場で買った私の大好きなお菓子、「大番」を戴きました。
このお菓子は獅子文六の小説「大番」にちなんだお菓子。
上品な柚子風味の餡が、カステラ風の生地に挟んであります。
カステラ生地の外側のかりほろっとした食感がたまりません。
昭和32年には、宇和島でこの作品の映画のロケが行われたそうです。
龍光寺を後にして次の札所へ。
41番札所龍光寺から42番札所仏木寺へは、約2.7km、徒歩で45分の道のりです。
道の右手は田園地帯、左手には高速道路があります。
高速道路からもこの仏木寺かよく見えます。
到着しました。
42番札所仏木寺 山門
仁王門の金剛力士像は均整のとれた見事な体躯。
筋肉の表現が面白いです。
42番札所仏木寺 本堂
807年、弘法大師はこの近くで牛を連れた老人に出会い、誘われるままに牛の背に乗り、クスノキの巨木の前までやってきました。
すると大師はそのクスノキの梢に光る宝珠を見つけたのです。
なんとその宝珠はかつて大師が唐での修行を終え、日本へと帰国する際、「縁のある土地に届くように!」と東の空に投げたものとそっくりだったのです。
そこで大師はこの地に仏縁を感じ、そのクスノキで大日如来像を刻んで本尊とし、寺号を仏木寺としたそうです。
42番札所仏木寺 大師堂
紅梅が咲いています。
ほのぼの。。
大きな茅葺き屋根の鐘楼は、見事で堂々とした佇まいです。
この鐘楼は四国札所でも屈指の歴史的建造物となっています。
42番札所仏木寺から43番札所明石寺へは、約11Km、徒歩で4時間の道のりです。
私のお遍路は44番札所大宝寺を1番初めに参拝したので、43番札所明石寺は私にとって最後の結願の寺になります。
この先を左に曲がり、へんろ道へ。
道の脇に大根がいっぱい捨ててありますよ。
山の中の本格的なへんろ道へ。
可憐なすみれ。
地面は石畳のようになっています。
途中、崖崩れで崩落している場所がありましたが、危険な場所はロープで仕切ってあって、問題なく通る事ができました。
大阪弁のエール、「がんばりや!」
がんばるけん♪
道路に出ました。
三間から宇和へ通じる道です。
歯長トンネル通過。
ついに西予市の看板が見えてきました。
西予市へ〜一歩!
道沿いには雪が残っています。
眺望がひらけました。
下って行きます。
牧草ロールですね。
近くに牛舎があるようでした。
どんどん下って。。
宇和町へはこの先を左。
この辺りから、下校中の小中学生の皆さんとすれ違ったのですが、みんな元気に大きな声で挨拶してくれて、とても気持ちがよかったです。
子供さん達はお遍路さんと出会うのも慣れているのでしょうね。
西予市立皆田小学校前。
静かな住宅地の中の道です。
日が暮れて、段々と納経所の終了時刻の17時が迫ってきました。
焦る気持ちを抑えつつ、「一歩一歩大切に!」と自分に言い聞かせながら進みます。
この緩やかな坂の上が明石寺のようです。
坂道は結構長く、このあたりで既に16時50分。
はあはあ。。
きっと間に合う。
大丈夫大丈夫。
到着しました!
42番札所 仏木寺山門
まずは山門を入ってすぐ右手にある納経所へ直行!
17時が近い時は、読経よりも先に納経所を済ませるのがセオリーです。
お参りは後ほどゆっくりさせて頂きましょう。
この時、男性の方が納経所におられたのですが、少し不思議な事がありました。
男性は私の納経帳を開くと、すぐには書き始めず、何故かしきりに思案しておられるのです。
あまりに長くそうされているので、どうかされましたか?と尋ねると、
紙の質が普通と違うのです、と。
え? 紙の質が違うなんて言われたのは初めての事でした。
やがて男性は、納経帳の下に本や新聞紙、更にタオルを敷いてから、ゆっくりと書き始められました。
納経帳で待つ間に、キンコ~ンと17時のチャイム。
はてな?と感じたけれど、最後にふさわしく丁寧に書いて下さったんだ、と思う事にしました。
42番札所明石寺 本堂
明石寺の歴史は古く、6世紀の半ばの欽明天皇の時代であり、仏教伝来と相前後して建てられました。
734年に紀州熊野から十二社権現を勧請、修験の道場となりますが、やがて荒廃。
その後、822年に弘法大師が再興。
1194年には源頼朝が池禅尼の菩提を弔うために堂を建てた事から、武家の信仰を集め、戦国時代には西園寺氏、江戸時代には宇和島藩主、伊達家の勅願所として栄えました。
42番札所明石寺 大師堂
本堂、大師堂の参拝を終えると、まるで紙吹雪のような春の雪。
お大師様、八百万の神様、ご先祖様、四国遍路八十八ヶ所を、無事に結願まで歩かせて頂き、本当にありがとうございました。
合掌。
結願の感動で涙が溢れてしまうかしら、と思っていたけれど、そんな感傷的な事も無く、とても静かで穏やかな心持ちでした。
雪の降る中、お宿までの道を急ぎます。
最後のお宿はビジネスホテル松屋。
お部屋は普通のシングル。
夕食はコンビニで買ったもの。
この日の歩数は50982歩!
またまた長い記事を読んで頂き、ありがとうございます。
札所の参拝は終わりましたが、私の歩き遍路の旅は家から始まり、家に帰る事で完結します。
歩き遍路の旅17 4日目につづく。。
月朧心は水でできている さち
つきおぼろこころはみずでできている