「SOU・SOU」のお干菓子「こはく」
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お天気は雨。
今日からリフォームの職人さん達が入り、作業が始まりました。
リフォームと言っても、クロス、床、天井を貼り替えて、屋根と外壁を塗り直すくらいで、壁を撃ち抜いたりの大きな工事はありません。
まずは家の中の細かな塗装より。
古い家ですが、できるだけ白く明るいお部屋にしたいと思っています。
嬉しいのはタカラのシステムキッチンが入ること♪
歩き遍路の旅10 2日目14番札所常楽寺から19番札所立江寺(2021年3月10日
大日寺のお隣の名西旅館花の朝ごはん。
朝食は午前6時半からでした。
食事中もご主人がすぐ側に座っておられて、遍路道の事などを色々と教えて下さって楽しい。
私の他にも2名の男性が宿泊されていました。
お味噌汁が美味しい〜。
普段は食べない納豆も頑張って食べました。
出発したのは午前7時。
この日もお天気は晴れ。
13番札所大日寺から14番札所常楽寺へは、約2、4Km、徒歩で40分の道のりです。
畑に朝日を浴びる私の影が映っています。
なんて気持ちのいい朝でしょう!
静かな田園地帯です。
何の菜花かな?
もうすぐ咲きそうです。
一宮橋です。
昨日眺めながら歩いた鮎喰川を渡ります。
静かな住宅街。
少し山手へ。
あの小高い場所が常楽寺のようです。
この石段、なんと自然の岩盤を削って造られています。
常楽寺は山門の代わりに石柱があります。
境内も波打つような天然の岩盤の上にあり、荒々しくも趣のある景観です。
本堂から下を見た様子。
14番札所常楽寺 本堂
本堂の上に被さるように生えている大樹はアララギで、弘法大師が挿木をしたものが成長したとされています。
ここは修行中の大師の前に弥勒菩薩が姿を現した場所だそうで、この時大師が霊木に刻んだ弥勒菩薩を本尊としています。
弥勒は釈迦の入滅後56億7千万年の後に現れて衆生を救済すると言われている未来仏です。
14番札所常楽寺 大師堂
さあ、次のお寺へ。
徳島市内にある13番札所大日寺から17番札所井戸寺は、徒歩でもその5ケ寺を楽に巡れる事から、「五ケ所参り」として親しまれているそうです。
この日私はその先の19番立江寺まで行く予定なので、そうそうゆっくりしてはいられません。
14番札所常楽寺から15番札所国分寺までは800m、徒歩で15分の道のりです。
この間は1Kmもありません。
すぐに国分寺が見えてきました。
15番札所国分寺 山門
15番札所国分寺 本堂
国分寺は741年に聖武天皇の詔によって全国66カ所に建造された国分寺の一つです。
かつては七重の塔をはじめ多くの堂宇を備えた広大な寺院でしたが、戦国時代の戦火によりことごとく焼失してしまったそうです。
現在の本堂は江戸時代後期に再建されたもので、重層入母屋造りの建物は一見二階建ての様にも見える堂々とした建物です。
15番札所国分寺 大師堂
境内には近くの水田から発掘された、かつての七重の塔の塔芯礎があり、徳島県の史跡に指定されています。
さあ、次の札所へ。
15番札所国分寺から16番札所観音寺へは、1、8Km、徒歩で25分の道のりです。
静かな街並みを抜けて。
田園地帯を歩きます。
快晴です。
この先を右へ。
見えてきました。
16番札所観音寺 山門
堂々たる楼門造りです。
手水鉢の龍はあどけない雰囲気。
16番札所観音寺 本堂
この寺も国分寺と同じ様に、741年に聖武天皇の勅願寺として創建されました。
その昔姑との折り合いが悪く、姑を火のついた薪で殴った女性の遍路が、この寺で濡れた着物をを焚火で乾かしていた所、火が燃え移り大火傷をおったという言い伝えがあるのだとか。
16番札所観音寺 大師堂
久しぶりに団体のお遍路さんを見かけました。
休む間もなく次のお札所へ。
16番札所観音寺から17番札所井戸寺へは、2、8Km、徒歩で45分の道のりです。
賑やかな通りを歩いて。
東へ東へ。
踏切を渡ります。
今度は北の方へ。
朱塗りの門が見えてきました。
17番札所井戸寺 山門
間口の広い朱塗りの仁王門です。
細かい網があって金剛力士像はよく見えませんでした。
17番札所井戸寺 本堂
この寺は674年、天武天皇が建立した妙照寺が前身です。
後に弘法大師がこの地の住民が水に困っていると知り、錫杖で地面を突いて清水を湧き立たせたという故事から、井戸寺と改められたそうです。
17番札所井戸寺 大師堂
ここまでは五ヶ所参りとして知られている短距離での移動でしたが、17番札所井戸寺から18番札所恩山寺へは、18Km、徒歩で5時間30分の道のりです。
この日は更に恩山寺の先の立江寺の宿坊を予約しているので、ここからがまさに正念場です。
まずは田園地帯を抜けて。
広い通りに出ます。
だいぶ進んんだように思ったけれど。
ここでまだ恩山寺まで18Kmという看板発見。
距離が減っていない?!
どうもガイドブック以上の道のりの様です。
旧家の街並み。
ずいぶん広い通りに出ました。
県庁まで5kの看板。
お城みたいな病院あり。
国道192号線で徳島の中心部へ。
あ!とくしま動物園の案内板です。
ポロロ〜元気にしてる〜?(笑)
なんと見上げれば、阿波おどり会館前!
ここから眉山行きのロープウエイが出ています。
徳島の有名スポットですね。
だいぶ進んだような気がしたけれど、まだ恩山寺まで13キロメートルもあるんですね〜。
ふうう〜。
がんばれがんばれ!
金ちゃんラーメンで有名な徳島製粉前です。
ここでしたか〜。
金ちゃんきつねうどん大好き!
南へ南へ。
ふと遍路の道標が見当たらなくなって、急に心配に。
思わず交番で道を尋ねると、この道であっていますよ、と親切に手書きの地図まで書いて教えて頂きました。
よかった。。
椅子に座ってお話を聞いてもらっただけで元気を頂いたような気がします。
駐在さん、ありがとうございました。
踏切を渡って。
桜の街道を進み。
国道55号線に出ました。
三軒家橋
おやおや!
亀ちゃん達がいっぱいブイの上で日光浴をしていますよ♪
55号線を延々と。
お腹が空いて、ラーメン屋さんに吸い込まれちゃいました。
スダチ鶏塩ラーメン&餃子!
美味しかった〜。。
列車がコトコト。
お花が綺麗。
恩山寺はまだかなあ。
お!恩山寺まで1、8Kmの石碑です。(左の道標には1、9Kmとありますね)
あと一息!
少し山の方へ。
そろそろかなあ。
いよいよかな!
逆光の先にあるのは大師像のよう!
18番札所恩山寺に到着しました。
遠かったです。
山門は見当たらなかった気がします。
大きな石の手水鉢。
18番札所恩山寺 本草
母養山恩山寺。
この名称は弘法大師の母への思いを表したもので、かつて大師がこの寺で修行中に、母の玉依御前が讃岐からはるばる尋ねて来た事があったそうです。
しかし当時この寺は女人禁制であったため、大師は七日間にわたる女人禁制の秘法を納め、その後母を招き入れ、孝行を尽くしたそうです。
18番札所恩山寺大師堂
大師堂の傍にあるのは、大師の母、玉依御前を祀った御母公堂があります。
ここは玉依御前の剃髪所とされる場所で御前の髪が納められているそうです。
さあ、この時点で午後4時前。
18番札所恩山寺から19番札所立江寺までは4、1Km、徒歩で1時間の道のりです。
はたして午後5時までに宿坊のある立江寺まで辿り着くことができるのでしょうか?!
道を急ぐのですが、恩山寺下の竹林の遍路道が途中で崩れていて、車道に引き返すという時間のロスがあり、更に心は焦ります。
急いで急いで!
この先を右。
だいぶ日が傾いてきたみたい。
せっせせっせと歩きます。
まだかなあ。
立江寺まで0、7Km!!!
朱塗りの橋を渡ると。。
ようやく立江寺に到着しました!
この時点で午後5時前。
セーフ!
19番札所立江寺 山門
なんとかお納経の時間には間に合いましたが、もうお参りは翌日にしましょう。
なぜかというと、宿坊に泊まる人は午後5時からの勤行に参加しなくてはなりません。
着くや否や本堂に通されて勤行が始まりました。
なんとこの日の宿泊者は私一人。
若い住職様とたった二人での勤行でした。
立江寺専用の経本を戴き、これを見ながら、お経を唱えます。
ご住職と共に広い本堂で読経させて頂き、御本尊の延命地蔵菩薩様を間近で拝見する事ができて、なんともありがたく、尊い時間でした。
その後はすぐに夕食に案内され、この様な個室でお食事を戴きました。
お食事もおみかんも美味しかったです。
宿坊のお部屋はこんな感じ。
お風呂は何度でも入って良いと言って頂き、静かでゆっくり休む事ができました。
この日の歩数は56111歩!
左足小指にできた水疱を針で潰して床につきました。
これで明日も歩けるでしょう♪
立江寺宿坊に泊まる為に、急ぎながら歩いた一日でしたが、その苦しさに変え難い素晴らしい経験ができたと思います。
ありがとうございました。
歩き遍路の旅10 3日目につづく。。
接木せる切り出しの手に惚れ直す さち
つぎきせるきりだしのてにはれなおす